こんにちは!
「川の下の子、河原の子」
『刀剣乱舞』ではNo.2の人気を誇るツンデレ系(たぶん・・・)、
加州清光ゆかりの碑が地元「笠舞」にあると聞いて、巡礼者を装ってノコノコと出かけて参りました。
非人清光の碑
(金沢市笠舞1丁目5-15)
この「非人清光の碑」は、沖田総司や東條英樹の佩刀を造ったと言われる刀鍛冶、六代目清光
(正式名は「加州金沢住長兵衛藤原清光」)が住んでいたと言われる場所に建てられたモニュメントです。
刀剣がモチーフとなった碑ですね
徳川幕府も安定期となり、刀剣の需要も激減し、江戸時代には多くの刀工も困窮したそうです。
加賀の鍛治町に住んでいた六代長兵衛清光も生活に窮し、非人小屋に住むようになったため、「非人清光(乞食清光)」と呼ばれたそうです。
なお非人小屋(御救い小屋)とは、名君との誉れ高い加賀藩の第4代藩主・前田綱紀(つなのり)が設置した、生活困窮者を助けるための施設とのことですが、
収容者は、災害で住居を失くした困窮農民や町民、または他領の困窮者、発病した旅人なども対象としたそうで、いわゆる非人(被差別民)のみを収容対象とした施設ではなかったそうです。
そして清光は、その腕前を藩主綱紀に大いに認められて、「清光」の名と、前田家の家紋「梅鉢紋」の使用を許されたほどの名工。
ちなみに我が家の家紋も梅鉢紋っす。
なので清光を「河原の子」と断じるのは少々疑問がありそうです。
間抜けにも記念写真なんか撮っちゃってますが・・・
ここ、完全に他人の敷地内って感じですね・・・
お部屋の方、ゴメンナサイ!
★★★★★
笠舞地蔵尊
(金沢市笠舞2丁目21-11)
私は10年くらい前、2、3年ほどこの地のすぐ近所に住んだことがあります。
なお、同じくこの近所に住んでいた私の友人は、重要な会議や仕事がある前日には「会議(や仕事)が何事もなく終えますように」と、通勤途中にあるこのお地蔵様に願掛けをしていたそうです(笑)。
久しぶりにこちらに来たのですが、ずいぶん立派になったような気がします。
以前はこのような雨よけの屋根はなかったような・・・
★★★★★
猿丸神社
(金沢市笠舞3丁目23−21)
「猿丸太夫」とは、三十六歌仙の一人といわれ、(実在したか疑わしいとの説もあるようですが)
以下の有名な百人一首の歌を詠んだと言われています。
『奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき』
猿丸太夫
なお「笠舞」という地名は、今から約1,300年前にこの地を通った猿丸太夫が被っていた「笠」が、突風で急に飛ばされて「舞」い上がったことから、”笠舞“と名付けられた、とのこと。
そして、猿丸神社がミステリースポットであるという所以(ゆえん)ですが、かつてこの神社は、「丑の刻詣り」のメッカだったそうです。
そのため、子供の頃はこの神社の近くを通ると怖く感じてました。
「丑の刻詣り」とは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に、神社の御神木に、憎い相手に見立てた藁人形に釘を打ち込むという、日本古来の呪術ですね。
怖いですね。
なおこの神社のかつての御神木は杉の老木だったそうですが、「丑の刻詣り」で使われたその老木も、現在では伐採されてしまったそうです。
それではー