okurejeの日記

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『PLAN 75』 感想

 

麻生太郎が「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と発言して大いに炎上したが、・・正直、自分も同感ではある。
昔は、「きんは100歳、ぎんは100歳」なんて言って無邪気に長寿を祝ってたけど、今の日本の状況で、そんな呑気なこと言ってていいのかと思ったり。

なので、75歳に達したら自死を選択できる制度を国が施行する・・というブラックな題材の作品に興味を惹かれた。
制度名が「プラン75」というのも、国家(独立行政法人)が、国民に住宅購入費用を貸し付けてマイホームを買わせようとする「フラット35」みたいで、皮肉が効いたネーミングなのも興味深い。

 

 

冒頭。
若者が高齢者施設で入所者を殺害後に自死するという、「相模原障害者施設殺傷事件」を模した衝撃的なシーンから本作は始まる。このような事件が後を絶たず、ついに政府は、満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン75>を国会で可決・施行する。
<プラン75>の申請窓口で働く市役所職員の岡部ヒロム(磯村勇斗)は、日々淡々と職務をこなしているが、ある日、長く会っていなかった叔父が申請に現れることで制度に疑問を持ち始める。
夫に先立たれて一人暮らしの高齢女性、角谷ミチ(倍賞千恵子)は、同僚が仕事中に倒れたことでとばっちりを受け、ホテルの客室清掃の仕事を解雇され、住居も退去を迫られるため、ついに、<プラン75>に申請する。
フィリピンから単身で入国し、国に残した家族のために介護職員として働くマリア(ステファニー・アリアン)は、より高給の<プラン75>関連施設に転職するが、遺品整理などの業務を行いながら、やりきれない気持ちを日々抱えていく・・

 

 

なお本編開始前に舞台挨拶があり、早川監督と主演の3名(倍賞千恵子、磯村勇斗、ステファニー・アリアン)が登壇されたが、3名とも、実はお互いが絡むシーンはあまりないとお話されていたが、確かに3者が直接絡むシーンはほぼなかった。3者が同時に出演するシーンもなく、群像劇のような構成になっている。

 

設定がSFであるため、リアルさを強調するためにシナリオや演出も抑えたものになっている。ジルベール(磯村勇斗)のお役所仕事のシーンもいかにもそれっぽく、倍賞さん演じる角谷ミチが自宅で過ごすシーンなどでも、説明的な独り言やモノローグが一切ないのが良かった。切った爪を植木鉢に入れるシーンなどもあって、いやそれリアル過ぎない?という感じもあったけど。
ただ、無理やりな説明がないのはいいのだが、ストーリー自体にもそれほど抑揚がないため、クライマックスを迎えても少し淡泊な印象はあった。ラストあたりの脚本はもう少し抑揚をつけて、ドラマチックにしても良かったのでは?と個人的には感じた。

あと、やはり政府が安楽死を実施するのは、日本ではやっぱり無理があるのかな、と思った。

もしこんな制度が実施されたら、75歳を過ぎても申請しない高齢者は絶対に世間から非難されて(それが狙い?)トラブルも増えるし、自分で申請できない認知症の高齢者の方が絶対数としては多そうで、彼らをどうするのか?という問題と、なにより国家が自ら自殺幇助するというのは、現実的にはあり得ないとは思うが・・死刑制度は国家が行っているので、国民の死を管理できるのは国家のみという観点からすれば、あり得ないことでもないのか・・
せいぜい介護システムのように、安楽死の実施は民間施設が行うのを法律的に認めるくらいが落としどころだろうか。

 


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ちなみに自分自身としては、今の時点では長生きは望まない。
せいぜい60歳代、長くても70歳代で十分で、老いて体が動かなくなる前に、楽に死ねる合法的な薬があればあらかじめ準備して自死できるのが最高だと本気で思っているので、なぜ未だに長寿を祝う風潮があるのか疑問に思っているのだけど、まぁ実際にその歳になったら生に執着してしまうのかもしれない。
ただ高齢者に限らず、重病のために死を望んでいる人に安楽死を選択できるよう法整備が必要なのでは?と思ってはいたが、本作を観て、いざ自分で選択した死を、その間際に心穏やかに受け入れられるのか?と思うと、やはり難しいな・・と思わざるを得なかった。
・・なんだかんだで色々と考えさせられる作品。
しかし観客の半分は高齢者だったけど、本作を観てどう感じたんだろう。もちろん早川監督はアンチテーゼとして本作を製作されたのだけど、冒頭から「高齢者は社会には不要」みないなノリだったので、思うところが多いような・・

 

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