こんにちは!
かなり遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
を観てまいりました。
南蛮兜(伝高山右近所用)
展示内容は、テーマを3章に分けて、以下のような美術品を展示しています。
第1章は、高山右近にまつわる美術品
・・・右近の遺品や書、当時の茶器など
第2章では、南蛮美術にまつわる美術品
・・・南蛮屏風など
第3章は、北陸地方に残存するキリシタン遺物
・・・マリア観音像など
第1章(第7展示室)では、右近にゆかりの美術品のほか、千利休の書や所有した茶碗や肩衝(かたつき)などの茶具、また、あの『へうげもの』(読みは「ひょうげもの」)の主人公、右近と同様、利休七哲(りきゅうしちてつ)の一人、古田織部の作品が多数展示されており、
右近の美術品というよりは、『へうげもの』にまつわる人物の作品展といった趣で鑑賞いたしました。
・・・ただ、作中に登場した名物は、おそらく展示されてないと思われます。
ちょうど『へうげもの』最新刊(19巻)を読んでいたところだったので、古織殿のリアル作品を見ることができて(ちょっとだけ)感慨深いものがありました。
<古織さん関連作品>
「はにゃあ」 とした味わいのある黒織部沓形茶碗
右近は信長、秀吉に仕え、かつ千利休の利休七哲に数えられるほどの当時の文化人でしたが、筋金入りのキリシタンであったため棄教できませんでした。
ために、秀吉のバテレン追放令によって大名の地位を捨てて、加賀前田藩の庇護を受けて金沢に25年間暮らし、ついには家康のキリシタン国外追放令により、フィリピンはマニラに出国、当地で、わずか1年で死去したそうです。(享年64)
ために、秀吉のバテレン追放令によって大名の地位を捨てて、加賀前田藩の庇護を受けて金沢に25年間暮らし、ついには家康のキリシタン国外追放令により、フィリピンはマニラに出国、当地で、わずか1年で死去したそうです。(享年64)
なお右近の人物像としては、羽目を外さない非常に真面目な人物だったそうで、織田信長の弟で、利休十哲(りきゅうじってつ)の一人でもある織田有楽斎が彼の茶道を以下のように評したそうです。
「作りも思い入れも良いが、どこか『清(きよし)の病い』がある」
「作りも思い入れも良いが、どこか『清(きよし)の病い』がある」
・・・風流ではありながらどこか生真面目な右近像をよく現していると思いました。
★★★★★
第2章(第8展示室)で展示されている様々な南蛮屏風は圧巻でしたが、
しかしネットで調べると、長い禁教時代を経て、本来のキリスト教の教えが日本の土着信仰と習合された、独自の宗教となってしまい、マリア観音を「見立て」ではなく、本物のサンタマリアとして拝んでいたという説もありました。
(なんと、こんな地味なマンガ作品にもかかわらず)
阿部ちゃん(阿部寛)主演で映画化までされました。
「おらと いっしょに ぱらいそさ いくだ!」
・・・と、いったい何の話かわからなくなってしまいましたが・・・
『没後400年記念 高山右近とその時代』、今月1月4日から2月8日まで開催されてますので、興味ある方は行ってみてはどうでしょうか。
風神雷神図屏風デート
本年も宜しくお願い申し上げます。
それではー