okurejeの日記

フィギュアや映画や本などについて、ゆるく書かせていただきます。

祝!『薔薇の名前』読み終わったど~!

 

絶対に途中で挫折すると思ってた映画『薔薇の名前』の原作、ウンベルト・エーコ著『薔薇の名前』の単行本上下巻、なんとか読むだけは読めたので自分記念に!

今年の5月1日、何十年か振りで劇場で鑑賞したジャン=ジャック・アノー監督作『薔薇の名前』が面白かったので、今まで敬遠していた原作の長編小説も読んでみようか・・と思ってから3か月。
読み切る自信が無かったので、まずは上巻のみ購入したのは、映画鑑賞した翌日の5月2日だったが、なんとか読み切って、下巻を購入したのが6月10日。
そしてついに、一昨日の8月15日に、どうにかこうにかラストまで読み切ることができた。
だいたい3か月強かかったが、とにかく読みづらい本だったので、もう半年か、大げさに言えば1年間くらい読み続けたような心持である。

・・・とは言っても、本書を「ある程度ちゃんと読む」ためには、最低限の西洋史、キリスト教史、哲学者でもある著者、ウンベルト・エーコの専門である「記号学」にも通じてなければいけない。もちろん、これらの知識は皆無に等しいので、兎にも角にも読み進めるのは大変だった。何が大変と言って、とにかく文章が長い!セリフも長い!
よく本書は「衒学的」と揶揄されることもあるけど、確かにウンチクがガッツリ長文で展開される小説なので、学術文書を読んでるような気にさえなる。・・よくも最後まで読めたものだ・・

 

●内容について
物語は1327年の北イタリア某所のカトリック修道院が舞台。
フランシスコ修道会のバスカヴィルのウィリアム(映画ではショーン・コネリーが演じた)と、弟子であるベネディクト会の見習修道士、メルクのアドソ(映画ではクリスチャン・スレーターが演じた)が、とあるベネディクト会修道院に立ち寄ってからの7日間の出来事を描いた作品。
ウィリアムの本来の目的は、修道院で予定されていた、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁との「清貧論争」の会談を調停するためで、両者の代表者が到着する前の準備のため先乗りしていた。しかしウィリアムが到着早々、若い修道士が不審死を遂げたことを知る。そして、修道院の責任者であるアッボーネ修道院長より、会談が始まる前に修道士の死亡事件について捜査して欲しいと依頼される。早速、調査を開始するウィリアムとアドソだが、なんとその翌日、またしても新たな死者が発見される。ウィリアムの鋭い観察力と幅広い知識力で、修道院に隠された謎が徐々に解明されるが、その翌日にも新たに不審死を遂げた修道士が見つかる。やがて、ウィリアムの仲間であるフランシスコ会の代表と教皇側使節一行が到着、両者の論争が開始されるが、教皇使節と共に訪れていた異端審問官ベルナール・ギー(映画では、『アマデウス』のサリエリ役でお馴染み、F・マーリー・エイブラハムが演じる)が、一連の修道院での不審死の容疑者に、厨房係であるレミージョをでっち上げ、強引の事件の幕引きを行い、修道院での会談も論争が決裂したまま中止となってしまう。無実の殺人の罪を着せられたレミージョは、過去に、フランシスコ修道会士で異端派のフラ・ドルチーノと行動を共にしていたことを隠していたが、ベルナール・ギーの策略によりその過去が暴かれ、現在も異端者であり、悪魔崇拝者であると言い掛かりをつけられる。異端者を隠していた修道院を責め、かつ、現在も悪魔崇拝者が存在する会派としてフランシスコ会を貶めることで、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁との会談を潰そうとしたベルナール・ギーの陰謀は成功をおさめ、会談の参加者は全て、早々に修道院を後にしてしまう。
本来の目的を果たせなかったウィリアムだが、アッボーネ修道院長から修道院を退去するよう命じられるも、修道院での一連の事件の解明を果たすため修道院に残り、ついに全ての謎を明らかにする。しかし、全ての事件と謎の発端となった「迷宮図書館」である文書館が、老修道士ホルヘの手により焼失、火の手は修道院の全てに広がり、ついに修道院自体も焼失してしまう。修道院を後にしたウィリアムとアドソはその後もしばらく旅を続け、やがて別れて後、再び会うことはなかった。

 

●サブテキストとして
正直、最初に映画を観ていなかったら到底、最後まで読み切ることはできなかったが、それでも読むのが困難な作品。特に、キリスト教の各宗派の違い・・・ベネディクト会とは?フランシスコ会とは?小さき兄弟会って何?ドルチーノ派って何?な状態で、簡単な解説を期待してこんな本も購入してみたが・・

 

 

基本的には、あらすじを簡略化して紹介しているだけで、一番知りたかった、物語中のキリスト教の各派の違いや概要には殆ど触れてなかったので、あまり参考にはならなかったかも。(結局それらについてはWikipediaで調べた・・)
ただ、物語中に散りばめられていた記号論についての解説などは興味深かったが、それでも基本的には、原作の翻訳を手掛けた、原作の河島英昭氏の解説文のほうが参考になった。

 

 

●映画との違い
本書を読み終わった余韻で、改めて映画版を鑑賞してみたのだが・・
映画しか観ていなかった際は、長尺かつ難解な物語だと思っていたが、クッソ長い原作を読み終えてみると、原作を上手くダイジェストしているとは思うが、それでもかなり端折っており、むしろ短い作品だな・・と感じた。
本作では最終的に、5人が自死、もしくは殺害されるが、最初の三人(オーランド修道士、ヴェナンツェオ修道士、ベレンガーリオ副司書)までは死因が明らかにされていたが、残りの二人(薬草係セヴェリーノ、マラキーア図書館長)については、殺された、もしくは死んでしまった経緯が全く映画劇中では説明されていないので、ちょっとビックリしてしまった。
たぶん説明のシーンも撮影はされていたと思うが、尺の関係でカットされたのではないだろうか・・
また勿論、各宗派の違いや特色、ドルチーノ派とは具体的に何だったのか?の説明がないので・・・そら映画しか観てなかったら、難解な物語だと思うわな・・となってしまった。
そして一番驚いたのはラスト。
原作では、ベルナール・ギーと教皇側使節一行は、無実の罪を着せたレミージョと、映画版ではロン・パールマンが演じたサルヴァトーレ、アドソと一夜を契った名もない村娘の3人を処刑する目的で連れ去ってしまい、その後3人がどうなったか明らかにされていなかったが(おそらく火炙りの刑に処せられている)、なんと映画版では、修道院内ですぐに処刑が執行され、しかも村人が暴動が起してベルナール・ギーは殺され、娘は一命を取り留める。
そもそもベルナール・ギーは実在の人物だそうで、原作、映画とも、冷酷非情な異端審問官として描かれていたが、実はそれほど冷酷な人物ではなく、物語の1327年には既に異端審問官を退任している。
さすがに原作ではベルナール・ギーが殺されることはなく、会談を潰した後は早々に修道院から立ち去っている。
確かに、悪役のベルナール・ギーが、最後には民衆に殺されるほうが物語の締めとしては盛り上がるとは思うが、原作と史実を知ってしまうと、あまりに演出過多のような・・

ジャン=ジャック・アノー監督は本作を「ハリウッド映画のようにはしたくない」と言ってたそうだけど、ラストは結構ハリウッド映画なんだけど・・
ちなみに2019年にはイタリアでドラマ版が放送され、日本でも配信されているが、かなり原作に近い、という噂を聞いたんだけど、ざっとストーリーをネットで参照したら、かなりオリジナル要素が満載くさい。特にフラ・ドルチーノの妻で、ドルチーノと共に残虐に処刑されたというマルガリータの娘が登場し!、ベルナール・ギーを付け狙い、最後にはアドソが愛した例の娘を助け出すという、さらにエンタメ要素が強いストーリーのようで・・・
さすがにウンベルト・エーコが生きてたら怒るんでないかな・・

 

 

ということで、あくまで映画版ではわからなかったストーリーの詳細を確認するレベルでしか読めておらず、全く「読めた」とは言えないんだけど、とりあえず最終頁までは目で追うことが出来た!ということで、読んだことにさせてください。

 

薔薇の名前(字幕版)

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