『教皇選挙』、コンクラーヴェと言えば、ダン・ブラウン原作の小説で、トム・ハンクス主演で映画化もされた、『天使と悪魔』を思い出す。この作品で初めてコンクラーヴェなるものを知った。
コンクラーヴェとは、ローマ教皇が死去した際、次期ローマ教皇を選出するための選挙のことで、一世紀近くの歴史を持っているらしい。
なお『教皇選挙』は、『天使と悪魔』みたいに、秘密結社イルミナティにより、バチカン市国が消滅するほどの反物質の爆弾が仕掛けられたり、教皇候補の有力な枢機卿が次々と殺害されたりなど、ハラハラドキドキのサスペンスではない。現代におけるコンクラーヴェの進行をミステリ風に描いた作品で、誰かが殺されたり爆弾が仕掛けられたりはしないが、選挙戦における少しドロドロした裏側は描写している。
・・が、『天使と悪魔』では、映画版でユアン・マクレガーが演じたカメルレンゴ(ローマ教皇の秘書長)のカルロ・ヴェントレスカ(映画版ではパトリック・マッケンナ)が、ある英雄的な行動と、全世界に向けた感動的な演説で、本来は教皇候補ではなかったのに教皇に選出されるが、実は・・みたいなプロット。
『教皇選挙』でも、意外な人物が最終的に教皇に選ばれるが、実は・・みないなお話で、よく考えたら同じプロットだったな・・と気が付いた。
中世から続けられているコンクラーヴェは、現代ではどのように執り行われているのかをリアルに、丁寧に描く作品で、シェークスピア舞台の名俳優であるレイフ・ファインズが重々しく演じていて見応えがあり、かつ勉強になる作品なんだけど、『天使と悪魔』のように爆弾や殺人は出てこないので、中盤までは若干、退屈な感じがしないでもなかった。しかしラスト、なかなかにドラマチックな展開になり、かつ、なかなかに衝撃的なラストを迎えて、しかし淡々とエンドクレジットを迎えるという、なかなかに名作感を感じる作品に終わって、なかなかいい映画だった。
さて、コンクラーヴェを描いたコンテンツとして印象的だったのは、惣領冬実先生の『チェーザレ 破壊の創造者』。
君主論でおなじみ、チェーザレ・ボルジアの若き日を描いたコミック作品の大作で、残念ながら尻つぼみで終わったしまったが・・
チェーザレの時代、中世では教皇になるということは、まさに世界一の権力者と同等で、様々な権力闘争を経てその地位を得るのは当然だったと思うが、現代において教皇という地位は、そんなに魅力的なものなんだろうか。
だいたい聖職者たる者が、世俗の権力者と同じように陰謀や策略をめぐらしてまで、教皇という地位を望むものなんだろうか。
時代に取り残された存在の宗教界の「トップ オブ トップ オブ トップ」である教皇という存在。
現代人にとっては、もはや宗教にすがる必要がないほど科学も文明も発達しているはずなのに、いまだに宗教戦争が絶えず、トランプ大統領は「性別は「男性と女性のみ」」と言い放ち、共産圏の大国は覇権を拡大させている。
そんな世界情勢のなかでも、ローマ教皇庁だけが誠実に真摯に人々の平和を願っている。宗教家といえども過ちも犯すし、試行錯誤も繰り返しているけど、それでも宗教人としての矜持を失わずにこれからもいくよ、という教皇庁のスタンスを描いた作品という感じ。
あ、そういえば『天使と悪魔』では、教皇候補の枢機卿団は選挙が終わるまでシスティーナ礼拝堂内から外出禁止だったが、本作では選挙中でも、外部との連絡は禁じられるが、礼拝堂から出ることができていた。
2005年のコンクラーヴェからは、礼拝堂への閉じ込めは廃止されたそうだ。